これから「教える力」について何回かに分けてブログを書いていきます。
今日は第1回目。
テーマは「授業人」。
最近教員の英語力(英検準1級など)と生徒の英語力との間にギャップがあるというニュースや新聞報道がありましたね。
この件について、「授業人」という視点から食い込んでいきたいと思います。
(1) 先生が「賢い」から生徒が「賢くなる」は無理
いくら先生が賢くても、「生徒が賢くなるか?」と言われると、答えはNoです。
「先生の賢さ」よりも「教え方」「気づかせ方」「やる気の出させ方」の方が、生徒にとっては重要なのです。
文部科学省のお偉い方がどう考えているのか分かりませんが、現実はもっと違うのです。
〈例1〉中学3年生で高校入試前にweが何なのか知らなかった・・・
〈例2〉講師採用試験を受けた有名大学生がmakeの過去形をmakedと書いた・・・
〈例3〉2次方程式を知らない小学生に2次方程式で問題の解き方を教えていた・・・
いくら先生が英検準1級を持っていても、〈例1〉のような、高校入試直前に塾に来た「weを知らない中学3年生」に教えるのは大変です。
英検準1級があるからどうのこうの、という問題ではなく、「どうやってその子にweを教えるのか」ということです。
つまり・・・
①weの読み方
②weの意味
③weの時のbe動詞(現在形と過去形)
④weを使ったbe動詞の疑問文と応答文
⑤weを使ったbe動詞の否定文
⑥weを使った一般動詞の肯定文、疑問文、否定文
⑦weを使った疑問詞疑問文
⑧weを使った未来表現、進行形
⑨weを使った現在完了形
最低でもここまでのことを入試に間に合うように教えなければならないのです。
これだけのことを思いつくことができるかどうかが、一流の先生とそうでない先生との違いです。
また、〈例3〉のように、2次方程式を知らない小学生に2次方程式を教えるなんてカリキュラム無視も良いところです。
カリキュラムは子供の発達段階に合わせて緻密に作られています。
なぜ、小学生にxやyではなく、□を使った考え方を教えるのか、あなたは考えたことがありますか。
さらに、〈例2〉のように、たとえ有名大学出身でもmakeの過去形をmakedと書く学生も多くいます。
他には、「・・・という」とすべきところを「・・・とゆう」だとか、「友達」の「達」を「3本線ではなく2本線で書く」学生もいます。
(2) 「賢い」と「教え方」はまるで違う!
いくら賢くても、「黒板の前」という舞台の使い方が下手な先生は結局は生徒には伝わりません。
〈例1〉説明ばかりしている=話が長い
〈例2〉黒板が混沌としている
〈例3〉たとえ話が下手
〈例4〉その順番で説明する根拠が不明確
〈例5〉生徒を聞かせる態勢にさせていない
〈例6〉授業がトレーニングになっていない
〈例1〉にも挙げたように、黒板の前は先生の舞台です。舞台でどう踊るかは先生次第。
きれいに踊れる先生もいれば、そうでもない先生もいる。
「一体どのくらい模擬授業をやったのだろう?」と疑問に思います。
〈例2〉は「黒板の使い方」が雑、という意味ではありません。黒板は先生の芸術作品です。
文字が上手であることが前提ですが、黒板は「思考の整理」として使うべきです。
〈例3〉ですが、たとえ話は意図的に選ばないといけません。
完全に脱線している先生もいるようですが、本筋を伝えたいためのたとえ話です。
しかも、「意味を含んだ」たとえ話でなければなりません。
〈例4〉はよく素人の講師に見られるパターンです。
人前に立って話をしたことがない方(プレゼンが下手)は、前から順番に話をしていきます。
教科書を例にすると、教科書には「書き手」と「使い手」がいますよね。
書き手の意図と使い手の意図は必ずしも一致しません。
書き手が必要な箇所だと感じても、使い手は不要な箇所と感じる場合もあります。
書き手はとても詳しく書いてくれているけれども、使い手はもっとコンパクトに伝えた方が分かりやすいと感じる場合もあります。
書き手が意図した順番が「積み上げ型」であっても、使い手が「逆算型」にした方がもっと分かりやすい場合もあります。
教科書を逆に持って音読をさせる場合もあります。
どう材料を使うかは、プレゼンター(先生)次第。
〈例5〉は授業以前の問題です。授業は双方向でなければなりません。
先生の舞台が整っていても、生徒の舞台が整っていなければ成立しないのが授業。
お互いがもっとハッピーになれる環境づくりが必要です。
〈例6〉は、授業は「育成」の場、「人格形成の場」という意味です。
一方的に説明をして満足する先生が多いです。
しかし、生徒は練習しなければ上達しませんよね。
いくらバッティングの説明をしても、実際にバットを振る練習をしなければ上達しないのと同じです。
授業は「トレーニングの場」です。生徒がたくさんトレーニングをすれば良いのです。
トレーニングは単に「解く」だけではありません。
「気づかせる」「考えさえる」「悔しい思いをさせる」「自慢できる場面を作る」・・・
そういう舞台を整えるが先生です。
(3) まとめ
先生が英検準1級を取得することには反対はしません。
しかし、もっと必要なのは「授業に磨きをかける」ことではないでしょうか。
あまりにも授業に関するトレーニングが少なすぎる、または、授業を教える先生が少なすぎるような気がしてなりません。
先生も「人」です。授業人としての「人」の魅力を鍛えるべきではないでしょうか。